ピアノ

ピアノ

ピアノは弦をハンマーで叩くことで発音する鍵盤楽器の一種である。
据え付けて用いる大型の楽器で、横に並んだ鍵を指で押すと、鍵に連動したハンマーが対応する弦を叩き、音が出る。
音域が非常に広く、現代の標準的な楽器では88鍵を備える。
名前の由来はイタリア語で「弱い音と強い音の出るチェンバロ」という意味の「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」(もしくはそれに類する表現)であり、徐々に省略され「ピアノ」と一般に呼ばれるようになった。
演奏目的として使われるのはもちろんのこと、音楽教育、作品研究、作曲などにも広く用いられている。
クラシックオーケストラの持つ音域のほぼ全てを内包しているので、西洋音楽のほとんどの曲は、ピアノ曲に編曲して演奏することができるという特徴がある。
実際、管弦楽を伴う声楽曲を、ピアノ伴奏で演奏できるようにしたもの(ヴォーカル・スコア)が出版されているし、作曲家の多くは、管弦楽作品やオペラを書くにあたって、ピアノ譜を作っておいてからそれをオーケストラにしている(オーケストレーション)。
汎用性の高い楽器であることから、ピアニストに限らず、他楽器奏者、声楽家、作曲家、指揮者、音楽教育者などにも、演奏技術の習得を求められることが多い。
保育士試験、小学校教員採用試験などでも必要とされている。

名称

名称

「ピアノ」という名の由来は、イタリア語の「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」(Clavicembalo col piano e forte)、もしくはそれに類する表現である。
歴史的には「ピアノフォルテ」(pianoforte)や「フォルテピアノ」(fortepiano)と呼ばれ、一般に楽譜には「ピアノフォルテ」または「フォルテピアノ」、略して “Piano” や “pf” と表記される。
現代では、イタリア語・英語・フランス語では “piano” と呼ばれる(伊・英では “pianoforte” も使用)。
ドイツ語では「ハンマークラヴィーア」(“Hammerklavier”)がピアノを意味し、より一般的には “Klavier”(鍵盤の意味)と呼ばれるほか、“Flugel”(もともと鳥の翼の意で、グランド・ピアノを指す)も用いられる。
ロシア語の正式名称は “фортепиано” (fortepiano) であるが、一般にはグランドピアノを意味する “рояль”(フランス語の “royal”から)が用いられることが多い。
その他ハンガリー語では “Zongora” と呼ぶ。
20世紀後半以降、あえて「フォルテピアノ」「ハンマークラヴィーア」「ハンマーフリューゲル」などと呼ぶ場合は古楽器(およびその復元楽器)、すなわち現代ピアノの標準的な構造が確立される以前の構造を持つ楽器を指す場合が主で、モダンピアノが普及する以前に作曲された作品を、当時のスタイルで演奏する古楽派などに用いられている。
これに対して19世紀半ば以降のピアノを区別する必要がある場合には「モダンピアノ」などと呼ぶ。
日本では、戦前の文献では「ピヤノ」と書かれたものが見受けられる。
一例として尋常小学校の国語の教科書に「月光の曲」と題されたベートーヴェンの逸話が読み物として掲載されていたことがあるが、このときの文章は「ピヤノ」表記であった。

歴史

初期
弦を叩くことで発音する鍵盤楽器を作ろうという試みは早くより存在しており、中でも鍵盤付きのダルシマー系の楽器をピアノの先祖とみる向きもあるが、一般的には、現在のピアノはトスカーナ大公子フェルディナンド・デ・メディチの楽器管理人であったイタリア・パドヴァ出身のバルトロメオ・クリストフォリが発明したとみなされている。
クリストフォリがいつ最初にピアノを製作したのかは明らかでないが、メディチ家の目録から、1700年にはピアノがすでに存在していたことが知られる。
現存する3台のクリストフォリ製作のピアノは、いずれも1720年代に製作されたものである。

多くの発明がそうであるように、ピアノもそれまでにあった技術の上に成立している。
ピアノに先行する弦を張った鍵盤楽器としてはクラヴィコードとチェンバロが特に普及していた。
クラヴィコードは弦をタンジェントと呼ばれる鉄の薄い板で突き上げるもので、鍵盤で音の強弱のニュアンスを細かくコントロールできる当時唯一の鍵盤楽器であったが、音量が得られず、狭い室内での演奏を除き、ある程度以上の広さの空間で演奏するには耐えなかった。
一方のチェンバロは弦を羽軸製のプレクトラム(ツメ)で弾くものである。
ストップ(レジスター)の切り替えで何段階かの強弱を出せる他は自由に強弱を演奏することは困難であったが、数世紀にわたる歴史を通じて、ケース、響板、ブリッジ、鍵盤のもっとも効果的な設計が追求されていた。
クリストフォリ自身、すぐれたチェンバロ製作家であったため、この技術体系に熟練していた。
クリストフォリの重要な功績は、ハンマーが弦を叩くが、その後弦と接触し続けない、というピアノの基本機構を独自に開発した点にある。
クラヴィコードでは鍵を押している限りタンジェントが弦に触り続けるが、ハンマーが弦に触れ続ければ響きを止めてしまう。
更に、ハンマーは激しく弾むことなく元の位置に戻らなければならず、同音の連打にも堪えなければならない。
クリストフォリのピアノアクションは、後代のさまざまな方式のアクションの原型となった。
クリストフォリのピアノは細い弦を用いており、モダンピアノより音量はずっと小さいが、クラヴィコードと比較するとその音量は相当に大きく、響きの持続性も高かった。
クリストフォリの新しい楽器は、1711年にイタリアの文筆家フランチェスコ・スキピオーネ(スキピオーネ・マッフェイ)がピアノを称賛する記事をヴェネツィアの新聞に掲載するまでは、あまり広く知られていなかった。
この記事には構造の図解も掲載されており、広く流通して、次世代のピアノ製作家たちにピアノ製作のきっかけを与えることとなった。
オルガン製作家としてよく知られるゴットフリート・ジルバーマンもその一人である。
ジルバーマンのピアノは、1点の追加を除いては、ほぼクリストフォリ・ピアノの直接のコピーであった。
ジルバーマンが開発したのは、全ての弦のダンパーを一度に取り外す、現代のダンパー・ペダルの原型であった。
ワルター社、1805年頃製のレプリカ、ポール・マクナルティー製作ジルバーマンは彼の初期製作楽器の1台を1730年代にヨハン・ゼバスティアン・バッハに見せているが、バッハはダイナミックレンジを充分に得るためには高音部が弱すぎるといって、評価しなかった。
その後、ジルバーマンの楽器は改良を加え、1747年5月7日にフリードリヒ大王の宮廷を訪ねた際にジルバーマンの新しい楽器に触れた際にはバッハもこれを評価し、ジルバーマン・ピアノの売り込みにも協力したという。
ピアノ製作は18世紀後半にウィーンを中心に盛んとなり、ドイツ・アウグスブルクのヨハン・アンドレアス・シュタイン、その娘でウィーンのナネッテ・シュトライヒャー、同じくウィーンのアントン・ワルターなどが活躍した。
ウィーン式のピアノは、木のフレームに1音2弦の弦を張り、革で覆ったハンマーをもつ。
また現代のピアノとは黒鍵と白鍵の色が逆のものもある。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトがそのピアノ協奏曲やピアノソナタを作曲したのは、こういった楽器によってであった。
J. S. バッハの末子、ヨハン・クリスティアン・バッハはロンドンに在住中、演奏旅行で訪ねて来た少年時代のモーツァルトを膝の上に乗せて、ピアノを連弾したという。
モーツァルトの時代のピアノは、イギリス式のピアノや、現代の一般的なピアノよりも柔らかく、澄んだ響きを持つ。
20世紀後半より当時の楽器の復元がなされ、19世紀初頭以前の初期ピアノはフォルテピアノとしてモダンピアノと区別することも多い。
古楽派を中心にフォルテピアノを用いた演奏も盛んになっている。

モダンピアノへ
1790年から1860年頃にかけての時期に、ピアノはモーツァルトの時代の楽器から、いわゆるモダンピアノに至る劇的な変化を遂げる。
この革新は、作曲家や演奏家からのより力強く、持続性の高い響きの尽きぬ要求への反応であり、また、高品質の鋼鉄によるピアノ線を弦に用いることができ、正確な鋳造技術により鉄製フレームを作ることができるようになるといった、同時代の産業革命によって可能となったことであった。
時代を追って、ピアノの音域も拡大し、モーツァルトの時代には5オクターヴであったものが、モダンピアノでは7S!オクターヴか時にはそれ以上の音域を持っている。

初期の技術革新の多くは、イギリスのブロードウッド社の工房でなされた。
ブロードウッド社は、華やかで力強い響きのチェンバロですでに有名であったが、開発を重ねて次第に大型で、音量が大きく、より頑丈な楽器を製作し、初めて5オクターヴを越える音域のピアノを製作した。
1790年代には5オクターヴと5度、1810年には6オクターヴの楽器を作っている。
フランツ・ヨーゼフ・ハイドンとルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンにも楽器を送っており、ベートーヴェンはその後期の作品で、拡大した音域を利用して作曲している。
ウィーンスクールの製作家たちもこの音域拡大の流れを追ったが、イギリスとウィーンではアクションの構造が違っていた。
ブロードウッドのものはより頑丈で、ウィーンのものはより打鍵への反応がよかった。

1820年代になると、開発の中心はパリに移り、当地のエラール社の楽器はフレデリック・ショパンやフランツ・リストの愛用するところとなった。
1821年、セバスティアン・エラールは、ダブル・エスケープメント・アクションを開発し、鍵が上がり切っていないところから連打できるようになる。
この発明によって、素早いパッセージの演奏が容易となった。
ダブル・エスケープメント・アクションの機構が公に明らかになると、アンリ・エルツの改良を経て、グランドピアノの標準的なアクションとなり、今日生産されているグランドピアノは基本的にこのアクションを採用している。

日本にフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトによって初めてピアノがもたらされたのもこの時期である。
山口県萩市の熊谷美術館にはシーボルトより贈られた日本最古のピアノが現存する。

モダンピアノの響きを作り出した大きな技術革新の一つに、頑丈な鉄製フレームの導入があげられる。
鉄製フレームは「プレート」とも呼ばれ、響板の上に設置し、弦の張力を支える。
フレームが次第に一体化した構造を獲得するのにあわせて、より太く、張力が高い弦を張ることが可能になり、また張る弦の本数を増やすことも可能となった。
現代のモダンピアノでは弦の張力の総計は20トンにも上りうる。
単一部品の鋳物フレームは、1825年にボストンにてオルフェウス・バブコックによって特許が取得されている。
これは、金属製ヒッチピン・プレート(1821年、ブロードウッド社がサミュエル・ハーヴェに代わって特許請求)と、耐張用支柱(1820年、ソムとアレンによって請求、ただしブロードウッドとエラールも請求)を組み合わせたものであった。
バブコックは後にチッカリング・アンド・マッカイ社で働き、チッカリング社は1843年にグランドピアノ用のフル・アイロン・フレームを初めて特許取得した。
ヨーロッパの工房はその後も組合わせフレームを好むことが多く、アメリカ式の単一フレームが標準となるのは20世紀初頭である。

その他の代表的発明として、革の代わりにフェルトをハンマー・ヘッドに用いることがあげられる。
フェルト・ハンマーは、1826年にジャン=アンリ・パップによって初めて導入された。
素材がより均質である上に、ハンマーが重くなり、弦の張力が増すとともに、より大きなダイナミックレンジを得ることを可能とした。
音色の幅を広げるソステヌート・ペダルは、1844年にジャン・ルイ・ボワスローによって発明され、1874年にスタインウェイ社によって改良された。

デュープレックス・スケール。
全長182cm のグランドピアノの高音部の弦。
左下から順にダンパー、弦の共鳴長、トレブル・ブリッジ、デュープレックスの弦長、デュープレックス・ブリッジ(弦に対して直角の長いバー)、ヒッチピンこの時代の重要な技術的発明としてはほかに、弦の張り方もあげられる。
低音部を除いて、1音2弦ではなく3弦が張られ、「オーバー・ストリンギング」や「クロス・ストリンギング」と呼ばれる、2つの高さのブリッジを用い、張る向きの変えて弦の並びを重ねる張り方が導入された。
このことにより、ケースを長くすることなく、より大きな弦を張ることが可能になった。
オーバー・ストリンギングは1820年代にジャン=アンリ・パップによって発明され、アメリカ合衆国におけるグランドピアノでの使用の特許は1859年にヘンリー・スタインウェイによって取得された。

テオドール・スタインウェイが1872年に特許を取得した、デュープレックス ・スケール(もしくはアリコット・スケール)は、張られた弦の共鳴長に続く部分を、共鳴長とオクターヴの関係に調律することで、弦の各部分の振動を制御する技術である。
類似のシステムは、同じく1872年にブリュートナー社で開発されたほか、カラード社は、よりはっきりとした振動を使って響きを調える技術を1821年に開発している。

スクエア・ピアノ、19世紀末。
初期のピアノの中には、現在は一般に用いられていないような外形や設計を用いているものもある。
スクエア・ピアノは地面と水平に弦を張ったケースが長方形の楽器で、ハンマーの上に対角線状に弦を張り、ケースの長辺側に鍵盤が設置されている。
スクエア・ピアノの設計の原型はさまざまにジルバーマンおよびクリスチャン・エルンスト・フレデリチに帰されており、ギュイヨーム=レブレヒト・ペツォルトとオルフェウス・バブコックによって改良された。
18世紀後半にはツンペによりイギリスで人気を博し、1890年代には、アメリカ合衆国にてスタインウェイの鋳物フレーム、オーバー・ストリンギング・スクエア・ピアノが大量生産され、人気を博した。
スタインウェイのスクエアは、木製フレームのツンペの楽器に較べて2.5倍以上大きかった。
スクエア・ピアノは、製作コストが低く、安価なために大人気であったが、簡単な構造のアクションと、弦の間隔が狭いために、演奏のしやすさや響きの点からは難があった。
アップライト・ピアノの内部構造。
Jaschinsky製、1900年頃。
アップライト・ピアノは弦を垂直方向に張った楽器で、響板とブリッジを鍵盤に対して垂直に設置する。
開発初期のアップライト・ピアノでは、響板や弦は鍵盤よりも上に設置し、弦が床に届かないようにしている。
この原理を応用し、鍵盤の上方に斜めに弦を張るジラフ・ピアノ(キリン・ピアノ)やピラミッド・ピアノ、リラ・ピアノは、造形的に目を引くケースを用いていた。
非常に背の高いキャビネット・ピアノは、サウスウェルによって1806年に開発され、1840年代まで生産されていた。
鍵盤の後にブリッジと連続的なフレームが設置され、弦はその上に垂直に張られ、床近くまで延び、巨大な「スティッカー・アクション」を用いていた。
同じく垂直に弦を張る、背の低いコテージ・アップライト(ピアニーノとも)は、ロバート・ワーナムが1815年頃に開発したとされ、20世紀に入っても生産されていた。
このタイプの楽器は、すぐれたダンパー機構を持ち、俗に「鳥カゴピアノ」と呼ばれていた。
斜めに弦を張るアップライト・ピアノは、ローラー・エ・ブランシェ社によって1820年代後半にフランスで人気を得た。
小型のスピネット・アップライトは1930年代半ばより製作されている。
このタイプの楽器では、ハンマーの位置が低いために、「ドロップ・アクション」を用いて必要な鍵盤の高さを確保している。
現代のアップライト・ピアノおよびグランド・ピアノは、19世紀末に現在の形にたどり着いた。
その後も製造工程や細かい部分の改良は依然として続いている。

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